現役を引退したじじいだよ、あだ名はロン、まだまだ元気なので気張って書いているよ

厚底シューズで想うこと(2020/01/30)

2023/01/31
 
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厚底シューズが話題に

 

マラソン競技などで着用されるシューズで厚底シューズが再び話題になってきました。確か2017年春頃だったと思いますが、米国のナイキ社から初めて競技用の厚底シューズが公表されたときにも大きな話題になりました。商品名が確か「ナイキ・ズームヴェイパーフライ4%」だったと思います。

 

伝令の兵士は裸足で走った!?

 

良く知られているように、マラソンの歴史は古代ギリシャ時代まで遡ります。紀元前450年9月12日にギリシャとペルシャがマラトンの地で戦った「マラトンの戦い」でギリシャ軍がペルシャの大軍を破り勝利したのですが、この「勝利の知らせ」をアテネの元老達に伝えるために一人の兵士が伝令に選ばれました。

 

マラトンからアテネに向かう道筋にある裸足のフィディッピデスの像

 

彼はマラトンから約40km離れたアテネまでを駆け抜け、アテネの郊外で「我勝てり」と告げた後に力尽きて息を引き取ったと言われています。この兵士の名前やこの話自体の真偽のほどには諸説があるようです。それはさておき、この時この兵士はどんなシューズを履き何時間で走ったのでしょうか。どうも裸足で走ったのではないかと思われます。

 

マラソン競技の始まり

 

この故事を忍び1896年のアテネで開催された第一回オリンピックではマラトンからアテネ・パナシナイコ競技場までの競走が加えられ、これがマラソン競走の始まりとなっています。マラトンからアテネの競技場までの距離が42.195kmとなっています。これが以降のマラソン競技の距離となりました。

 

競技の距離が統一されたのは、第8回パリオリンピック以後であり、42.195kmとされたのですが、この距離は第4回ロンドンオリンピックの時に走行距離(市街地42km+競技場の200mトラック1周弱)をそのまま採用したものです。 それまでは第1回大会の40kmから第6回大会の42.75kmまでの大会では概ね42km前後距離で競技をしていたようです。

 

マラソンはオリンピック大会の花

 

全ての競技が終了して最終日の最後のイベントとして競技場に入ってくる優勝ランナーを全ての人が注目し大歓声をもって迎えます。

 

マラソン競技の走行時間は回を重ねるごとに向上してきています。そこには選手自身の血が滲むような努力とトレーニングは勿論のこと、より早く走るための要素を科学的に解析することによって生み出されるランニング法や選手の最適なウエアやシューズの選択などすべての要因が最適でなければ良い記録は生まれないわけです。

 

開発が進むシューズ

 

マラソンランナーが着用するもので最も重要なものはシューズです。足に合わないシューズを着用すれば体の故障の原因になり記録どころか完走も難しくなります。最近はシューズメーカーの研究開発が進み新しい素材を使った優れたシューズが市販されるようになっています。

 

アベベは「裸足」で走った

 

ローマ大会で裸足で優勝したビキラ・アベベ選手

 

裸足でオリンピック・マラソンに出場した選手がいました。皆様も良くご存知のエチオピアのアベベ・ビギラ選手です。彼は1960年9月のローマ大会のマラソン競技に靴が壊れたために裸足で出場して2時間15分16秒で優勝して金メダルを獲得しました。その後多くの大会で優勝しています。

 

鬼塚シューズ

 

1964年10月の東京大会ではアベベはさすがにシューズは着用して、2時間12分11秒2の世界記録で優勝しました。史上初のオリンピック2大会連続優勝の快挙を達成しました。

 

アベベは東京大会も裸足で走る積りだったようですが、鬼塚氏の強い説得で「オニツカタイガー」を履き事前の競技では好成績を出していました。ただオリンピックの時は契約の問題から他社のシューズを履いたとのことです。

 

鬼塚氏は後に今日の「アシックス」社を設立して社長となり数多くのスポーツシューズを提供しています。鬼塚氏は「裸足のアベベに靴を履かせた男」として有名な方です。

 

金栗四三は「足袋」で走った

 

金栗足袋

 

日本が初めて選手団を送りオリンピックに参加したのは1912年の第5回ストックフォルム・オリンピック大会でした。金栗四三はそれまでの国内大会で数々の好記録を出していたのでマラソン選手として派遣されました。

 

東京から汽車で敦賀まで行き敦賀港からウラジオストックまで海路を、さらにシベリア鉄道でサンクトペテルブルク迄行きここから再び海路でやっとストックフォルムに着く17日間あまりの長旅でした。慣れぬ異国の地で体調の調整が大変だったのではないかと思います。

 

日本の陸上競技発展に尽力

 

金森四三のマラソンに纏わる話は数多くあり多くの方が著書に表しています。どのエピソードをとっても読む人を感動させるものばかりです。日本の陸上競技発展に多大の尽力をされた方として多くの人の心に残っていまるのではないでしょうか。

 

本番のオリンピックでは

 

金栗四三は、近所の足袋店「ハリマヤ」の黒坂辛作に作ってもらった特製マラソン足袋を履いて競技に参加しました。足袋は舗装された路面では途中で破れてしまったといいます。35℃を超える猛暑で日射病になり途中で棄権することになりました。

 

金栗足袋

 

金栗四三はこの悔しさをバネに帰国後「世界に通用するマラソン足袋」が必要と黒坂辛作とともに改良に取り掛かりました。

  • 足袋底を布地からゴム板に変える
  • ゴム底に滑り止めの凹凸を付ける
  • こはぜを止めて足の甲を紐で縛る

 

などの改良を加えて、この「改良マラソン足袋」東京・下関間1200kmを実走して確認しました。そしてこの一足があれば十分との結論に達しました。辛作は「金栗足袋」を命名して市販したところ好評で大いに売れたとのことです。さらに改良を加えて「カナモリ・シューズ」と発展していきました。

 

後輩育成にも力を入れた

 

金森四三は後輩の育成にも力を入れ、さらに日本のスポーツの振興にも注力しました。1936年の第11回ベルリン・オリンピック大会では教え子である孫基禎選手は「金森足袋」を着用して2時間29分02秒で見事優勝しています。

 

また1951年のボストン・マラソン大会では田中茂樹選手がゴム底の「金栗足袋」を履いて2時間27分45秒で見事優勝しています。レース後に二股の足袋を見て指が2本しかないのではないかと疑ったアメリカ人記者たちに履物を脱ぐように言われ、脱いだ素足の5本の指をみて驚いたとの有名なエピソードもあります。

 

かくして立派な成績に裏付けられた「金栗足袋」は世界から注目されることとなりました。田中選手が実際に履いた金栗足袋の写真はこちらいだてん・金栗四三「金栗足袋からカナグリ・シューズへ」)からどうぞ。

 

記録は伸びてきた

 

1896年の第一回アテネ・オリンピック大会で優勝したスピロス・ルイス選手の記録は2時間58秒50秒でした。後に国際陸連が距離を計測し直したところ36.760kmだったそうです。現在の42.195kmと定められたのは1924年の第8回パリ大会からでした。

 

1924年以降の記録の伸びは

 

マラソン競技の走行距離が42.195kmとなった第8回パリ大会からの記録を纏めてみました。

 

オリンピック・マラソン競技優勝記録の推移」の表はこちら

グラフにしてみました。

オリンピック・マラソン優勝記録の推移

 

縦軸の走行時間、「時間、分、秒」は全て「時間」に換算して表示しました。記録が大会ごとに少しづつ赤線の2時間に接近してきているのが判ります。( 2020年2月1日追記)

 

1924年の第8回大会では2時間40分台で、1928年の第9回大会では2時間30分台へ、1952年の第15回大会では2時間20分台へ、1960年の第17回大会では2時間10分台へ、1976年の第21回大会では初めて2時間10分を切る記録となっています。

 

直近の記録は

 

2004年の第28回大会以降は2時間10分を切っています。直近のデータでは2時間にかなり接近していて、近いうちに2時間を切る記録が出るのではないかと期待が高まっています。非公式記録では2時間を切るデータも出ているようです。最近ではアフリカ出身の選手が上位を占めるようになっています。

 

記録が出やすいコースも

 

平坦で起伏が少ないコースやその時の気候条件や周囲の環境などによって好記録が出やすいコースがあるようです。2020年夏の東京大会ではコースは札幌に変わりましたが、、果たして2時間を切る世界記録が出るのでしょうか。

 

下のポストもご参照ください。(「東京オリンピックは大丈夫かな」を2020/12/24、追記しました)。

 

 

 

 

 

 

開発は大手メーカー主導へ

 

エアマックス1マスターの一例

 

安全で軽くて丈夫でより早く走れるシューズの開発を目指して国内外のメーカーによる競争は熾烈となっています。さらに「金栗足袋」の開発の歴史を見ても判りますが、シューズに使う素材の開発も重要です。近年カーボン系やシリコーン系,ポリウレタン系など新しい素材の開発も目覚ましいものがあります。

 

ナイキのヴェイパーフライ4%シリーズ

 

ナイキノヴェイパーフライ4% 出典:NIKE公式サイト

 

ナイキ ズーム ヴェイパーフライ 4%は2017年7月に発売して以来、革新的なアイディアによってより軽く、通気性に優れた履きやすいシューズと使用した多くのトップランナーが非常に高い評価をしています。

 

さらにナイキは「Breaking2」というプロジェクトを組み、ナイキズームベイパーフライエリートと言うシューズを開発中で、このシューズを着用して2時間を切る記録を目標にしています。

 

2018年のベルリンマラソン大会でケニヤのエリウド・キプチョゲ選手が2時間01分39秒の公認世界記録を出しています。この時履いたシューズが「ナイキ ズーム ヴェイパーフライ 4% フライニット」でした。

 

  • 約3cmの厚いソールである
  • 軽くてクッション性が高い
  • 最大85%エネルギーリターンがある
  • 4%のランニングエコノミーが向上した

 

2019年10月13日にウィーンで行われた『INEOS1:59Challenge』でエリウド・キプチョゲ選手(ケニア)が42.195kmを1時間59分40.2秒で走破した。これは非公認記録ながら人類史上初めて2時間の壁を破る大記録となっています。

 

その他のメーカー

 

アッシックスGT2000-8  出典 アッシックス公式サイト

 

国内メーカーは特に日本人に履きやすいシューズ開発を進めています。代表的で人気のあるシューズは:-

  • アシックス  :GT-2000シリーズ
  • ミズノ    :WAVE RIDER
  • アディダス  :adiZERO japan BOOST
  • ニューバランス:M1040 / W1040
  • プーマ    :IGNITE

 

などがあります。一般のランナーは結局は自分に合った走りやすシューズを選ぶのが一番大切だと思います。

 

厚底シューズ規制はどうなる

 

最近国際陸連が“ナイキの厚底”シューズの使用を禁止しようとしているというイギリスメディア発のニュースが流れています。シューズに関する具体的な規則がないようなので、今から作るとして東京オリンピックには間に合いそうにありません。

 

古代ギリシャでマラトンからアテネ走ったランナーはどうも「裸足」だったようですし、その後日本では足袋に改良を重ねながら「金栗足袋」に至り、更に今日の「アシック」に発展しています。

 

記録は選手が持つ全能力以上のものは出せません。シューズやウェアなどのハード面の対策や科学的に解析された合理的なトレーニング法や走行方法などは選手の能力を可能な限り100%近い状態で発揮するためにあるものではないかと思います。

 

ある特定のシューズを制限することは、特定のシューズに該当する定義の設定も含めて、かなり難しいように思います。いずれにしても国際陸連ははやく結論を出してほしいですね。

 

まとめ

 

厚底シューズに関してはなはだ不十分ではありますが、主としてシューズの開発面から見てみました。

 

  • シューズは使用される材料の性能向上と相まってこれからも発展し進化していくものと思います。これによって記録もこれからも伸びていくのではないでしょうか。

 

  • 当面はどこの国選手がいつどの大会で2時間の壁を切るか大いに興味があります。今年の東京オリンピック大会は期待されます。

 

 

最後までご覧いただきまして有難うございます。

 

 



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