ソフィアからブカレストへ(2019/08/02)
目次
ルーマニアへ
バルカン半島の北東部に
ブカレストはルーマニアの首都です。先述のブルガリアの北に位置し、東には黒海とウクライナ、両者の間にはモルドバもあり北西にはハンガリー、西にはセルビアあります。バルカン半島付け根の北東部になります。
ユーゴースラビアは
このセルビアを含めクロアチア、ボスニアヘルツェルコビナ、モンテネグロ、コソボ、マケドニアは西側にアドリア海に面してユーゴスラビア社会主義連邦共和国を形成していましたが、各構成共和国は順次独立して最後に2006年にモンテネグロが独立してユーゴースラビアはその約100年の歴史を閉じて消滅しました。これには複雑な要因があったようです。
ルーマニアは
ラテンの国
国名はルーマニアで英語表記では「Romania」ですが、これは「ローマ人の国」を意味しており、その国名からわかるようにバルカン半島におけるラテン人が形成した国です。
この国もまたブルガリアと同様に戦いの舞台となった期間が長く登場人物も多種多様に亘っています。
周辺国の影響
東ローマ帝国つまりビザンチン文化の影響を受け、さらにオスマン帝国、オーストリア・ハプスブルグ帝国の影響下に置かれて永い間自らの国家を樹立出来なかった。
国内改革
また最近では冷戦時代のニコラエ・チャウシェスク大統領時代、1989年に起こった一連のルーマニア革命を経てやっと今日のルーマニアとなりました。
工業国
ルーマニアの産業は伝統的な農業が盛んで就労人口としては多いですが、戦後工業化進めたために重工業が盛んとなりGDPとしては工業国と言えるようです。天然資源としては石油、石炭、天然ガスを中心に豊かであると言われています。
ルーマニアはバルカン半島の諸国の中で面積が一番大きく主要部分を占めています。首都のブカレストは人口230万人を超える大都市です。
ブカレストは
ブルガリアのソフィアからは飛行機で1時間フライトで近いです。最近では列車で国境を越えてルーマニアに入国する若者もいるようですね。
ブルガリアと同様
ルーマニアはブルガリアと同様にその長い歴史の中で多くの民族が登場し、彼らが持ち込む宗教や建造物、風習や習慣、食文化など多方面に亘りそれらが融合し合ってまた新しい文明文化を生み出しています。このような所に大いに魅力を感じ、見るものを飽きさせません。
ブカレストの観光スポット
ブカレストでぜひ見ておきたい観光スポットは幾つかあります。
クレツレクス教会
ルーマニア正教の教会で1722年に建造されたレンガ造りの建物となっています。入場は無料で正教徒以外の人も入場できます。入口の天井に善と悪を裁く神の姿がフレスコ画として描かれています。
スタヴォロポレオス教会
旧市街にある最も古い教会の一つで観光客の間でも高い人気を誇るスポットとなっています。1724年ギリシャ人修道僧により建造されました。内部にはフレスコ画や精巧なイコンが描かれいます。
凱旋門
まずは何と言ってもブカレストのランドマークである凱旋門でしょう。1919年に第一次世界大戦の際の勝利を記念して建造されたものです。最初は木造でしたが1930年の再建されてヘラストラウ公園近くの交差点に建っています。
良くご覧になって下さい。どこかに似ていると思いませんか。そうなんです、パリの凱旋門を模して造られたと言われています。
国民の館
1984年に着工して1997年に完工したルーマニアの国会議事堂と観光施設となっています。当初はチャウシェスク大統領の宮殿として建設開始されましたが、1989年の政権崩壊で一時中止されたあと再開され完成しました。
床面積が33万平方メートルもあり米国のペンタゴンに次ぐ世界で2番目に大きい建造物になっています(地下4階、地上10階建て)。
メトロと路面電車
地下鉄は通称はメトロウ(Metrou)で、Mマークが地下鉄の出入口です。 ブカレストでは最もよく利用される公共交通機関のひとつです。 地下鉄を上手く使えば市内の大抵の所へは簡単に行くことができます。市内バスや路面電車も気軽に利用することが出来ます。
治安は良くなかった
ブカレストは以前には治安が悪くスリや強盗などが多いとの情報がありましたが、現在では落ち着いてきているとのことです。筆者も特に危険を感じることはありませんでした。ただし流しのタクシーや熱心な呼び込み人などには用心するに越したことはありません。
旧市街は美しい
ブカレストは戦火や革命を潜り抜けてきましたが、旧市街に行けば昔の美しい街並みがそのまま残り東欧のパリと言われている位です。
物価が安い
ブカレストは物価が安く一流ホテルも比較的リーズナブルな価格で利用することが出来ます。ルーマニアは18世紀にハプスブルグ家のハンガリー領となったためにオスマントルコ料理の影響は隣国ブルガリアや旧ユーゴースラビアよりも少なく、むしろセルビア、オーストリア、ハンガリー料理の影響がみられると言われています。
ツアーに参加するのが便利
ショートステイの旅行者にとってツアーに参加しない限り特に旧市街の有名なレストランに出向くことは難しくホテルのレストランで済ませてしまうことになりました。市内1日観光ツアーなどに参加すれば効率よく見て回れると思います。
まとめ
(1)ルーマニアはバルカン半島のなかで「ローマ人の国」でしたが、長い歴史の中で主に東ローマ帝国、オスマントルコ帝国、ハプスブルグ帝国の影響下でそれらの文化を受け入れて独自の文化を形成していきました。
(2)また近代から現代にかけてはバルカン半島特有の混乱があり、ルーマニアも冷戦が終結し国内の改革を経てやっと今日の姿を取り戻しています。
(3)短期滞在の旅行者には判り難いところがありますが、逆に言語、宗教、建造物、芸術、食文化、風俗習慣などどの切り口から見ても興味が尽きないものがあります。
ご参照:ページ ヴァルナからソフィアへ 2019年7月27日
ご参照:ページ 芸術の街、ウィーンへ 2019年8月9日
最後までご覧いただきまして有難うございます。