さすがに遺跡が多い(2019/01/29)
目次
ギリシャへ
ケニア、タンザニアでの仕事を終えてケニアの首都ナイロビからギリシャのアテネまで夜行便で向かった。夜8時頃出発してアテネ国際空港には翌朝の7時頃に到着しました。
ギリシャは東はエーゲ海を挟んでトルコと、南は地中海と、西はイタリアと北はアルバニア、マケドニア、ブルガリアと接しています。古代ギリシャ、ローマと東ローマ、オスマントルコなどがバルカン半島で主役として登場しました。歴史的に非常に興味がある国です。
ギリシャ訪問の目的は
空港には当地在住の当社のスタッフの方が迎えに来てくれていました。目的地は北部にあるギリシャ第二の都市テッサロニキです。ここに現地企業との間で設立された合弁会社が現在日本国内で生産している電池材料製品をギリシャでも製造販売しようというものです。
工場建設予定地
工場建設も近づいていました。筆者たちは工場予定地を見て行かないかとの誘いに甘えて出かけてきたものです。筆者はこのプロジェクトにはこの時は全く関係ありませんでした。
アクロポリスへ
アテネを素通りするのも勿体ないので、何はなんでも有名なアクロポリスだけは見ようということになりました。
アクロポリスのポリスとは小高い丘や城市を意味すると云います。すっかり忘れていましたが、高校時代の歴史の教科書に出てきたのを思い出します。この丘には「パルテノン神殿」や神域の門である「ポロピュライア」や「エレクティオン」や「アテネ・ニケ神殿」があります。
ポリスは他にも
古代ギリシャ時代にはアテネの他にもペロポネソス半島南部にある「スパルタ」やアッティカ西部にあった「メガラ」やコリントスにある「アクロコリントス」などがあります。
パルテノン神殿は美しい
パルテノン神殿はアテネの守護神であるギリシャ神話の女神アテーナーを祀る神殿です。紀元前447年に建設が始まり紀元前438年に完工。ドーリア式建造物の最高峰。2400年を経過した現在風雨に晒されて破損しかけて個所に足場を組み補修が重機やクレーを使って行われていました。完成時の姿に戻すのかそれともある程度破損した状態で残すのか余計なことが気になりました。
テッサロニキへ向かう
まだ見たいところは数多くあったのですが、なにせ時間がありませんので車でテッサロニキに向いました。途中休憩所ではかわいい小さな女の子が積んで輪にしたイチゴを売っていました。そういえば季節は6月でしたので、日本と同じようにイチゴ収穫の季節だったのですね。
テッサロニキは
夕方テッサロニキに到着しました。まだ日は高いので海岸で一休み。現地の人はみなのんびりと午後を楽しんでいます。
テッサロニキはアテネに次ぐギリシャ第2の都市です。テッサロニキ都市圏の人口はおよそ80万人を超えてギリシャの経済や産業、商業、交通、政治などの中心となっています。
またテッサロニキ港の設備は整っているために南東ヨーロッパの交通の一大拠点となっています。テッサロニキ港はギリシャやその後背地域にとって重要な役割を果たしています。後になってテッサロニキを再び訪れることになるとはこの時は夢にも思っていませんでした。
ビザンティン様式の遺跡が多い
テッサロニキ周辺にも遺跡が多く残されています。ローマ時代には重要な都市であったためにビザンティン様式の建築物が多く残されています。
アテネが古代ギリシャを象徴する街なのに対して、テッサロニキは中世東ローマ時代のギリシャを象徴する街と言われており、ここに大きな特徴があるようです。現在ではそれらは世界遺産に登録されたテッサロニキの初期キリスト教とビザンティン様式の建造物群であるアギオス・ディミトリオス聖堂は典型的な例ではないか考えられています。
その他にも
(1)アギオス・ディミトリオス教会
(2)テッサロニキ考古学博物館
(3)ホワイトタワー
(4)アリストテレス像
などがあります。
ホワイトタワー
ホワイトタワーは直径23m、高さ27mの主塔の上に直径12m、高さ6mの櫓が乗る形式になっています。テッサロニキのランドマークになっていますが、これは12世紀ごろのビザンティン時代に建てられた言われ、オスマン帝国時代に改修されたと言われています。
1912年テッサロニキがギリシャ領になった時に改修洗浄されて白さを取り戻したので「白い塔」と呼ばれるようになりました。
そう言えばセビリアの街中を流れる川、グアダルキビール川沿いに立つ1220年頃建てられたという12角形の塔が「黄金の塔」がありましたが、かつては検問や防衛の役割を担っていたと言います。
テッサロニキの「白い塔」も検問や防衛目的に造られたように南西ヨーロッパに見られる建造物のようです。
ギリシャの料理
ギリシャ料理は2010年にイタリア料理、スペイン料理、モロッコ料理とともに地中海の食事としてユネスコの無形文化遺産に登録されました。これらの地域は長い歴史の中で相互に影響し合い培われた共通の料理があるようです。
ギリシャ料理としておもなものは;-
(1)「ムサカ」ですね。ナスやジャガイモの輪切りをミートソース、スペシアルソースを
かけ重ね合わせてオーブンで焼き上げたもの。
(2)「パスチッチョ」はミートソース茹でたペシャメルソースを重ねてチーズをかけたもの
(3)「ギロ・ピタ」は薄切りにした豚肉や牛肉を重ねて大きな塊にしてグリルで回転させながら焼き、焼けたら薄く削いで食る。ピタというパンで巻いて食べれば「ギロ・ピタ」という
(4)「スブラキ」は一口大の牛、豚、鶏、羊などを串刺しにして炭火で焼いたものがあるようです。日本の焼き鳥に似ているようです。印象として隣国トルコ料理と似た所が多いと思いました。
まとめ
ギリシャには数多くの遺跡や文化遺産があります。いずれも長い年月を経過しているために遺跡などは特に破損が大きいと思いました。これらを補修して維持管理していくのには多額の費用と人的労力が必要で国としても大変だなと思いました。
後からの話になりますが、何年か後にこの仕事に関わるようになるとはこの時は夢にも思っていませんでした。縁とは全く不思議なものですね。
最後までご覧いただき有難うございました。