人の心はー会社合併時の話ー(2)ー(2023/08/10)
(1)のつづき。
目次
生産管理部門では
Eは初めて全社の生産状況を管理に就くことになった。企画部門はかなり個人プレイ的な部分があったがここでは日々の現場の生産技術業務と一体となって動く必要があった。
(1)で紹介したように生産管理部門の責任者はB社出身のQ常務でした。Eの配属を好ましく思っていなかったのだろうか。
配属後の最初の労使の交渉では世間平均よりは少し良い額で妥結していたが、何があったのか判らないが、春の賃上げと賞与が1円も上がらなかった。Eにとって初めての経験であった。
個人的な恨みなどあるはずがない。何故ならば配属された時が初めての顔合わせとなるからです。
Qの転勤の話
H県の製造設備は規模も大きく常務クラスが責任者となっていた。おかしい移動ではないと思われたが、Qは赴任を嫌がり出した。
C型肝炎に罹る
QはC型肝炎に罹ったので、Qの友人の医者が勤務する病院に急に入院してしまった。どのような診断書が会社側に提出されたかは全く知らない。
ただ現場では大いに困った。組織上はEの上司はQでありQの上司は社長となっていた。Qが長期間休むと、全国の工場からの報告事項、決済を求める事項などペイペイ部長のEが直接社長の判断を貰うことになり、組織的には不自然な形となった。
病院へ見舞い
会社終了後見舞いに出かけたが、予約も必要なかったし直ぐに面会出来た。髭をそっていなかったので病人らしく見えたが意外と元気で部屋の中を歩いていた。
非常に不謹慎ですが、医者と組んだ芝居はないかと言う人もいました。G県の事業所に行く位なら辞職して花作りなどしてのんびりしたいと言っていたことがあった。
C社は存続出来るか
これはJ工場(C社の本社工場)の自立可否次第ではないだろうか。電力会社の売電価格では、この事業は厳しい状況でした。原発を上手く稼働させている関西電力と九州電力は値上げの申請をしていない。
とにかく徹底した合理化が必要ではないかと思いました。
Eの派遣
主要設備改良および電力設備新設工事はこの工場にとっては一大工事でした。残念なことに前任者(B社出身)の工場長が病気で急逝してしまった。
そこでEが呼び出され、J工場へ4~5年行ってくれと言われた。これまでA社で頑張って仕事をしてきたが「これまでか」と急に情けなくなった。4~5年先は定年も近いし先はどうなるか判らないと思い辞表を書いた。
一旦辞表は懐にしまいJ工場に赴任した。EがA社出身ということでいろいろ問題が出てきたのかな、とやがてEは思った。
住宅事情
独身寮へ
J工場のある町は小さな町で、賃貸住宅や間借りなどなく、単身赴任のEにとってはなはだ不便な町でした。従ってやむを得ず会社の独身寮に入れて貰うことにした。これは寮生にとっては甚だ迷惑なことだったようです。
長屋の賃貸住宅へ
独身寮には3か月ほど居てやっと見つかった6~7軒繋がった長屋の賃貸住宅へ個人で借りて移った。一応新築ではあったが、北部地方ながら夏は暑く冬は寒いのでエアコンも自分で付けた。
長屋では「生活ごみ」「雪掻き」ど共同作業が出来ず隣家から実際クレームも来ました。
従業員の受け止め方
恐らく「占領軍として一人乗り込んできた、Eのことは全く知らないので、こいつはどの程度出来るのか見極めてやろう」と思ったに違いない思った。
まず不満の矛先は「単身で来て独身寮に入るなどとは生意気だ。なぜ家族を連れてこないのか。俺たちの町をバカにしているのか。学校も良い学校があるぞ。」などなどから始まったようだ。
ピンポイント攻撃
合併時の不満をぶっつけるのに都合の良い人物が来たと思った人が何人もいたようですし、また年配層やOBにも虐めてやれと思った人もいたようです。(つづく)。
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まとめ
- 間もなくピンポイント攻撃が始まります。次回に書きます。
最後までご覧いただき有難うございます。