一番住みやすい街ナントへ(2018/12/08)
目次
ナント市へ出かけた
パリ滞在中、所要でナントへ日帰りで出かけました。ナントはフランスの西部ロワーヌ川の河畔に位置する都市です。パリからは飛行機で1時間弱で、高速鉄道TGVですとパリモンパルナス駅から2時間余りで到着します。
ナント市は
空港に降り立った時の第一印象は、空が明るく澄んでいてなんだかスペインのどこかの街に来たかのような感じでした。
ナント市は人口およそ30万人で大西洋に開けたロワール川河口からは東へ50㎞ほど陸地に入ったところに位置しますが、何本かの河と運河で結ばれおり水運も便利です。大きな埠頭では石油、天然ガス、石炭、木材、砂糖などが扱われています。
また大型クルーズ船も回航しています。フランス西部の海の玄関口の一つです。将来の新しい産業立地の一つのようにも感じました。
フランスの工業地帯
現在のフランスの工業地帯は北海沿岸のダンケルク、地中海沿岸の鉄鋼業のフォス、加工業中心のパリ周辺、地中海沿岸の最大貿易港であるマルセイユ、トゥールーズの航空機などとなっています。
ナント市の停滞
かってはボルドーと張り合って、三角貿易や砂糖の精製、造船業で大きく栄えたロワール川沿いの街ナント市が、その後時代の変化の波や戦争により産業が衰退してからはナントの街は大変な状況となりました。
ジャン・マルク・エロー氏の改革
街の工場は閉鎖して仕事は無くなり人口は減少して市民は希望を無くなくしていきました。そんな状況下でジャン・マルク・エロー氏が1989年になんと市長に当選し2014年まで市長を務めました。彼は後にフランス共和国の首相になった人です。彼は長期展望のもと強いリーダーシップで文化政策を強力に推進しました。
エロー市長の改革
このエロー市長が推進した政策なくして今の「フランスで一番住みやすい街ナント」は語れないと思いますので簡単に紹介します。
文化政策の第一段階は海外や国内のアーティストの交流を深め「世界に開かれた町」というナントの魂を蘇らせ、市民に自信を取り戻させたといいます。ナント市民は新しいダイナミズムを生み出すことが出来ました。
さらに都市再生の第二段階としてイノベーションを活用して文化遺産を蘇らせ、堅牢な施設や制度を整備し、比類のない場所をつくったことです。文化遺産を上手く活用しました。
第三段階はロワーヌ川河口から東に50㎞離れたナントと市内の荒廃した工場跡地や古くからある有名建築物、施設を連続した広域ナントと考えて多数のアーティストのプロジェクトを風景の中に溶け込ませ、その一帯の文化、産業、生態系の豊かさを包括的に楽しめるように発展させました。
ナント市の変貌
その結果「ナントへの旅」としてブランド化し、イベントや展覧会を集中的に開催し、ホテル、レストラン、交通機関とも連携した大きな経済効果を持たせる取り組みとして成果を上げることが出来たといいます。
今ではナントへの観光客は右肩上がりに増加して、企業も商店が文化政策に投資するようになってきた。良い方向に回転し始めたのです。世界からやってくる観光客ばかりでなく、ナントの成功例を研究するために研究者も訪問するようになりました。
少し長くなりましたが、日本でも人口減少、産業の衰退などにより苦戦している自治体は多いと思いますが、ナントの話は大いに参考になるところがあるような気がします。
フランスで一番住みたい街へ
ナントは「現代アートの町」として生まれ変わりましたと言われています。芸術・文化の町として高く評価され、今では「フランス人が一番住みたい町」と言われるほど人気の観光地になっています。
フランス人が今一番住みたい街ナントのおススメ観光スポットはヨーロッパの街では長い歴史があるので、大聖堂それにその街を統治した太公城などは見ておきたいスポットとして欠かせません。
再活性化したナントの観光スポット
今回話しをした相手企業のスタッフの人の話ではどうも「ナントの街は結構見るところが多いですよ」とのことでした。
仕事の話を終えた後、帰途の飛行機の時間まで大急ぎでナントの街を見てみることにしました。
ブリュターニュ太公城
ブルターニュ太公城は最後のブリュターニュ太公の住居で後にフランス国王の居城となった。1598年ナントの勅令が発せられた場所。今は博物館になっていて多くの資料が展示されています。
サン・ピエール・サン・ポール大聖堂
ナントのサン・ピエール・サン・ポール大聖堂です。ゴチック様式の建築で457年の歳月をかけて1891年に完成した。1862年には歴史的記念物に指定されています。
レ・マシン・ド・リル
レ・マシン・ド・リル、廃墟となった造船所の跡を広場にして技術者たちが結集して作り上げたといいます。これは時間がないので残念ながら話を聞いただけで終わり。パリから近いので機会があればぜひ来てみたいということで今回は見送り。
ヨーロッパの街にはどこでも広場がありますが、ロヤイヤル広場は広場を囲む建物が白い壁とグレーの屋根で統一されていて洗練された雰囲気を醸し出して本当に美しい広場となっています。
クレビヨン通り
グラスラン広場とロワイヤル広場を繋ぐクレビヨン通りはナントの高級ブティック街で東京の銀座のような存在だそうです。有名ブランドショップ、ジュエリー、パティスリー、香水などの店が並び観光客も多いようです。クレビヨンで買い物をすることは何となく格好がいい感じがします。
日本庭園
本格的な日本庭園があるのだそうです。ナントに日本庭園がと全く意外に感じました。どうして日本庭園がナントに出来たのか上のエロー市長の方針を見れば理解出来る気がしますが、これも彼の戦略の一環だったのでしょうか。
まとめ
(1)ナントの街は産業の移転や工場閉鎖など環境の激変により人口減少、失業などの困難に見舞われました。
(2)エロー市長の「文化政策」の旗印のもとに強力なリーダーシップによりナントを見事復活させた。
(3)このやり方は同じような現象に悩む日本の自治体の参考になりそうだと思ったことです。
(4)フランスへ行かれる機会があればぜひナントに立ち寄ってみて頂きたいと思います。
最後までご覧いただき有難うございました。