坂と霧の街、サンフランシスコ(2019/07/01)
目次
サンフランシスコは
サンフランシスコは坂が多い街です。夏は海流の影響で霧が発生することが多いです。かって金鉱山開発もあり世界各地からの移民が多く集まり現在では多様な文化を形成しています。ケーブルカーの通る坂道や路面電車の走る街の通りは綺麗です。
全米ではシカゴに次いで4番目の大都市で西海岸ではロスアンジェルスに次いで2番目となっています。日本からのアクセスが良く米国への玄関口の一つです。
日本との繋がりも深い
北米航路
また日本との繋がりも深く1930年代前半には日本は北米航路を開設して横浜、サンフランシスコ間に大型客船を就航させていました。この客船の往復により外国人を含む多くの人が日本と米国とさらにその先の欧州へ交流を広げていました。サンフランシスコは日本との関係が浅からぬ街であったと言えます。
鎌倉丸
浅間丸のあと建造された秩父丸は2万トン級で欧米の客船よりやや小ぶりであったが、デンマーク製のディーゼルエンジンを装備し内装も英国製のモダンな内装となっていた。その処女航海で横浜、サンフランシスコ間5500マイルを12日と9時間で走破して記録を作った。まさしく豪華客船として「太平洋の女王」と呼ばれていたといいます。
香港を上海向け出港する秩父丸( 追記 1935年上海に向けて香港を出港する秩父丸の映像が「youtube」 にありました。
上海から横浜、ホノルルを経由してサンフランシスコに向かう航路のようです。
宜しかったら一度ご覧になって下さい。2019年7月4日 )
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浅間丸、秩父丸(のちに鎌倉丸に改名)龍田丸のほぼ同型の3隻の客船が太平洋航路に就航していました。また横浜から東南アジア、スエズ運河を通りロンドンまでを約1.5か月かけて航海する欧州航路もありました。鹿島丸、香取丸など1万トン級の客船10隻余りが就航していたと言います。1930年代は日本では客船就航の全盛時代でした。
まだ民間航空機がない時代ですから、外国と日本との往来にはこれらの客船を利用していました。外交官、政治家、芸術家など著名な人が乗船したとのことです。
外国航路との通信は
1930年頃の外国航路の船舶との通信は短波を使い電離層に反射させて送信する方法でした。日本では千葉県銚子市と長崎県諫早市に無線電報局が設けられ、銚子無線電報局は太平洋、大西洋、南アメリカを担当して諫早市の「長崎無線電報局」は東南アジア、インド洋、ヨーロッパ、アフリカを担当していました。
モールス信号で
国籍を問わず客船,、貨物船や遠洋漁船などといわゆるモールス信号で交信していました。これは当時国際的に決められた共通の通信手段だったいいます。台風情報や海上で発生する海難事故などの非常事態にはこのモールス信号で伝達されたと言います。また上記の客船には船内に逓信省管轄の無線局が設置されていました。
私事で恐縮ですが、筆者の父親は若い頃逓信省(現郵政省とNTTグループの前身)の通信技師として北米航路、欧州航路の客船の無線局に乗り込んでいました。太平洋航路ではサンフランシスコや欧州航路ではロンドンやパリなどを訪問していたようです。父親が立ち寄ったかも知れない街を見るのも何かしら感慨深いものがあります。
時代の変化と技術進歩
通信衛星経由のディジタルで大容量通信方式にとってかわられるようになりおよそ20年くらい前にモールス信号方式は幕を閉じました。109年の歴史を閉じた長崎無線電報局の跡地には「JOSありき」の石碑が建てられています。
大型化したクルーズ船
飛鳥Ⅱ
ところで現在のクルーズ船はどうなっているのでしょうか。日本では飛鳥Ⅱが有名ですね。最短で国内1泊から100日超の世界一周航海までいろいろな選択肢が設定されていますので乗船された方も多いと思います。
外国のクルーズ船は大きい
クルーズ船の世界ランキングで1位は2018年に建造されたばかりの「シンフォニー・オブ・ザ・シーズ」でなんと総トン数は22.8万トンといいます。飛鳥Ⅱが5万トンですから4倍以上の大きさです。10位のノルウェージャン・ジョイでも16.7万トンもあります。
1位から9位までは日本には寄港しないので残念ながら見ることは出来ませんが10位のノルウェージャン・ジョイは日本に寄港する可能性があるらしいです。
日本に寄港しない上位のクルーズ船に乗船するためには希望の寄港地まで航空機で飛び予定の寄港地までクルーズを楽しむ方法があります。帰りはまた飛行機でかえります。このような旅行プランを提案している旅行会社もあります。
出来ることなら飛鳥Ⅱに乗ってサンフランシスコに行って見たいものです。
サンノゼ
サンノゼはシリコンヴァレーと呼ばれてIT産業の集積地となっています。筆者が関わる関連会社もIT産業の裾野の一角を占める企業の一つで、この会社に出かけることが何度かありました。
サンフランシスコ空港からサンノゼの中心部までは車でおよそ50分程度かかります。もちろん電車やバスでも行けるのですが、大抵は便利なタクシーを利用します。
近年ノースカロライナ州ラーレイは近隣地域とリサーチ・トライアングルを形成して東海岸最大の新興研究開発推進地域として西のシリコンバレーと並んで発展しています。
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サンフランシスコの観光地
駆け足で回る
サンフランシスコでは例によって時間があまりないので車を雇い昼間の短時間の観光をしました。ツインピークス、ゴールデンゲートブリッジ、フィッシャーマンズワーフなどを回るコースです。
ツインピーク
ツインピークスから眺めるサンフランシスコの街の高層ビルのパノラマはいいですね。多くの人が来ていましたが徒歩や自転車で切る人が多いのですね。市街地の近くにあり高さが280m程度ですからウォーキングにもよい環境かも知れません。
フィッシャーマンズ・ワーフ
獲れたばかりの魚介類を水揚げする港です。近くには新鮮なエビやカニや魚などを料理してくれるレストランやショッピングモールもあり十分楽しめるエリアとなっています。サンフランシスコで是非行って見たい観光スポットの一つになっています。ケーブルカーの終点になっているのでアクセスも便利です。
ゴールデン・ゲート・ブリッジ
ゴールデンゲートパークを通り次は本命のゴールデン・ゲート・ブリッジです。1937年に完成して全長が2737m、主塔の高さは227mもあるのだそうです。日本の瀬戸大橋とは姉妹橋関係にあるのだそうです。
チャイナタウン
日本では横浜の中華街が有名ですが、チャイナタウンは世界各地にあるのですね。ニューヨーク、マンハッタンのチャイナタウンも有名ですが、サンフランシスコのチャイナ・タウンは北米では最大規模だと言われています。若い人は知らないかも知れませんが、日本の歌謡曲にもあるので是非行って見たい観光地の一つです。ただ今回は時間が無くて残念ながら見送ることにしました。
ブラジルへ
サンフランシスコからマイアミ経由ブラジルのサンパウロに向かいました。人口甘味料の話を聞きたい旨の要請を受けて出かけたものです。この話は「砂糖よりずっと甘い甘味料」(2019-04-05) に纏めていますので是非ご覧になって下さい。
まとめ
サンフランシスコについて書き始めてのかの地と日本との間には客船の定期航路がありました。日本はまた米欧先進国との競争しながら北米航路、欧州航路、南米航路などを運航していました。
国籍を問わず外国航路の船舶との長距離通信は当時は短波を使ったモールス信号により行われていました。日本陸上の基地局は銚子と諫早の2つの無線電報局で全世界をカバーしていました。
無線局には浅からぬ関係があった筆者にとっては、当時の技師たちが足跡を残したであろうサンフランシスコの街は美しいですしまた格別の感傷を持つ街でもありました。
どうも最後までご覧いただきまして有難うございます。