勝者のモニュメント、凱旋門(5)(2022/07/10)
目次
凱旋門はほかにもある
凱旋門といえば何といってもパリシャンジェリ通り西端、シャルル・ドゴール広場にあるエトワール凱旋門が思い起こされます。これまでに紹介した凱旋門は有名な凱旋門ばかりで数も限られていました。今回は補足の意味も込めて書き残した凱旋門をもう少しご紹介したいと思います。
凱旋門は、古代ローマ時代までその歴史を遡ることになります。前にご紹介したコンスタンティヌスの凱旋門は有名です。19世紀まで下ればナポレオンの命により建造されたエトワール凱旋門などがあります。
凱旋門は
やはり軍事的な勝利を讃えてその戦いに勝利した将軍や国家元首や将兵が凱旋式を行うために造られた門のことを言います。その時代の国力の粋を集めた大きな建造物となります。
テトラパイロン形式
順不同で見ていきますと、まず筆者が訪れたトルコにも古代ローマ時代の凱旋門があります。テトラパイロンと言って4つの門を持つ立方体の形状をした記念碑で一般的には十字路に建造されていました。
ジャラシュは古代ローマ時代はゲラサと呼ばれローマ帝国下で安定し発展してきた。当時の遺跡の保存状態が良くて自然災害の無い中東のポンペイと言われている。15世紀にはオスマン帝国が支配した時期もあった。
アフロディシアスはトルコ南西部にあるBC3~BC2世紀に築かれた都市の遺跡であり、
2017年に世界遺産に登録。
テトラパイロン形式、キシナウはルーマニアとウクライナに
囲まれた国モルトバの首都です。
テトラパイロン形式、ヨルダン北部の街
首都アンマンから北に48kmにあるギリシャ・ローマ風の都市ゲラサの廃墟。
保存状態が良い。トルコのエフェソス遺跡より規模が大きいか。
この建築形式は近世まで引き継がれて、モルドバ国の首都キシナウには街の中心地聖堂広場にこの凱旋門は建っています。1877年から1878年の露土戦争の結果ロシア軍の勝利を記念してこの地に建造された。パリの凱旋門に比べればかなり小さいようです。
古代ローマ帝国
古代ローマ帝国はイタリア半島の都市国家から少しづつ紀元前500年頃から領域を広め、地中海円が地域を支配下に収めて拡大しました。最大版図はイギリス南部から中央ヨーロッパ、トルコから中東、北アフリカの地中海沿岸に及びました。
古代ローマ帝国は西暦395年に東西に分裂したあと東ローマ帝国は1453年にオスマン帝国によって滅ぼされるまで1,000年以上にわたって続いた。また西ローマ帝国はゲルマン民族との攻防戦のなかで、476年に滅亡した。
従って古代ローマ時代の遺跡は下のようにその時代の版図の中にあります。
ヨルダンの首都、アンマンから約48kmほど北にあるジェラシュ遺跡の中にある。
今では車道がすぐ横を通っているのでアクセスは良いのかな。
ティムカット遺跡はBC100年頃にトラヤヌス帝によって建設された古代ローマの植民都市の跡である。都市計画に碁盤目状の区画が導入され現存する最良の遺跡の一つである。長い間砂に埋もれていたことから保存状態が良いと云われています。
南フランス、アヴィニョンの北約20kmにあるオランジュの街にある凱旋門。BC1世紀頃のアウグストゥス帝の治世下において建設された。
ヤヌスの門いわれている.四方門で幅約16m高さ約12m。4世紀頃建造。
ヴェローナにある古代ローマ時代の門。当時街の有力者のカビ家がAC1世紀に建造。カステルヴェッキオ広場イタリアにある。四方門?
北西シリアのラタキアに183年に建造された。
四方門。
リビアの首都トリポリの東130kmにレプティス・マグナという古代ローマ時代の都市遺跡があります。保存状態が良くユネスコの世界遺産になっている。凱旋門のほかに市場跡、円形演技場、古代ローマ式の劇場、公共広場、セウェルス朝のバシリカなどが残されています。
西暦193年にセプティミウス・セウェルスが初のアフリカ出身のローマ皇帝になった。
( 2022/07/18、追記 )。
似てますね
前にも書きましたが、専門家ではないので詳しいことはわかりませんが、下の大きな凱旋門が似ていてしかも4つの門を持つテトラパイロン形式ではないかと思われることです。
パリのエトワール凱旋門やニューデリーにあるインドの門が大きさはかなり違いますが、形状はよく似ています。若しかしたらこれらの有名な凱旋門はテトラピヨン形式を継承したものなのでしょうか。
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まとめ
- 前にも書きましたが、エトワール凱旋門とインドの門は形が似ていますね。テトラパイロン形式なのでしょうか。そしてその歴史は古代ローマ時代まで遡るのでしょうか。面白いですね。
最後までご覧いただき有難うございます。