勝者のモニュメント、凱旋門(3)(2020/08/15)
目次
近代以降の凱旋門
エトワール凱旋門
凱旋門といえば普通エトワール凱旋門のことを指すくらい有名です。エトワール凱旋門はパリ・シャンジェリーゼ通り西端のエトワール広場(現在は改名されてシャルルドゴール広場)にある。どの方向から見ても美しいですね。
エッフェル塔と並んでランドマークとなっています。上空から見ればエトワール凱旋門から12本のの通りが放射状に延びているのがよく判ります。
ナポレオンが1805年のアウステルリッツの戦いに勝利したのを記念して建設された。この凱旋門はナポレオンの死後完成したために彼がパリに改葬された1840年に初めてこの門をくぐったといわれています。
その他に第一次世界大戦の勝利パレードや国の歴史的な行事を執り行う場所として使われた。こちらのページも参照して下さい。
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ガルーゼル凱旋門
パリの凱旋門で場所は 元テュイルリー宮殿だった公園内のカルーゼル広場にあります。この凱旋門もナポレオンの1805年のアウステルリッツの戦いに勝利したのを祝して建設されました。ローマにあるコンスタンティヌスの凱旋門にそっくりですね。
高さ:19m
幅:23m
奥行:7.3m
中央アーチの高さ:6.4m
両脇小アーチの高さ:4.3m
外回り:花崗岩製のコリント式コラム
上部:帝国兵士8名の像がある
ラ・デファンス
経済活動の増大によってオフィス需要が高まってきたために、パリ近郊のラ・デファンス地区が再開発されることになった。ラ・デファンス地区は、ルーブル宮殿から発し、コンコルド広場、凱旋門を通り郊外へ延びていくパリの歴史軸の延長線上に位置します。
この地区には大型の施設や超高層ビルが集まっています。伝統的な建物や景観の保護のために規制が少ない地区が選ばれることになります。これはヨーロッパのローマ、ウィーン、マドリッドなどの主要都市では共通の課題のようです。
「ラ・デファンス」の名は、19世紀の普仏戦争の際にこの地域でパリ防衛の戦闘の記念碑「ラ・デファンス・ド・パリ」に由来するといわれています。
ベルリンのブランデンブルグ門
ベルリンの中心部にありベルリンのランドマークとなっています。18世紀プロイセン王ヴィルヘルム1世により造られたベルリン市街地を取り囲む関税壁の一つ。
門はアテネのアクロポリスの入り口にあったプロピュライアの門を模しており、門の上には四頭立ての馬車に乗った勝利の女神ヴィクトリアの像が乗せられています。
着工:1788年、竣工:1791年
高さ:26m
幅:65.5m、
奥行き:11m
材料:砂岩
形式:古典主義様式の門
ポツダムの凱旋門
ポツダムの街はベルリン市街の南西26kmにあります。こちらもローマにあるコンスタンティヌスの凱旋門にそっくりですね。
ブランデンブルグ門に比べると小振りにようです。
仕様が良く判りません
ミュンヘンの凱旋門
バイエルン解放戦争(1814年~1815年)でミュンヘンが勝利したことを記念し建造されました。ミュンヘン勝利の門、Siegestorともいわれています。この凱旋門もローマのコンスタンティヌスの凱旋門を模して建造されています。
建設:1852年
高さ:21m
幅:24m
奥行き:12m
形式:3門のアーチ型凱旋門,上部にバイエルンの像とライオンのクアドリガのレリーフがある
ミラノの凱旋門(Arco della Pace=平和の門)
平和の門で通称ミラノの凱旋門と呼ばれています。スフォルツェスコ城から広大なセンピオーネ公園を通って約徒歩10分のところにあります。パリのエトワール凱旋門を少し小さいですが、カルーゼル凱旋門よりは大きいようです。
この凱旋門もローマのコンスタンティヌスの凱旋門と同じ3門式の凱旋門ですね。もし宜しかったら下のページもご参照下さい。
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場所:古代ローマの遺跡センピオーネ門の上、19世紀初期にナポレオンのもと建設開始
高さ:25m
幅:24m
門の上部:大理石とブロンズ製の6頭馬車の像、アポロ、マルス、ミネルヴァの彫像がある
ワシントン・スクエア・アーチ
ジョージ・ワシントンがアメリカの初代合衆国大統領就任100周年を記念して、1889年にワシントン・スクエア公園に建てられました。初めは木造制でしたが、1892年大理石製で再建された。パリのエトワール凱旋門をモデルにしています。そっくりですし恰好いいですね。
場所:公園北側正面、5番街の終点
材料:木造で1889年に建造
材料:タッカホー大理石で1892年に建て替え
高さ:22.4m
幅:17m
奥行:9.1m
ブカレストの凱旋門
ルーマニアの首都ブカレストでは1980年代にニコラエ・チャウシェスクにより建てられた「国民の館」が有名です。この国民の館と共にブカレストのランドマークとなっているのは凱旋門です。
戦争などにより破壊されたものがあるものの、ブカレストには優雅で洗練された建築物が残っており東欧のパリといわれます。こちらも参照してみて下さい。
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目的:ルーマニア国建国記念(1918年)
建造:1922年、素材は木造+漆喰のため焼失
再建:1935年
素材:花崗岩
モデル:パリのエトワール凱旋門
山田の凱旋門
日本の凱旋門の由来は祝賀行事などの際に建てられていた「緑門(りょくもん)」といわれています。日清戦争や日露戦争が終わった時には各地に盛んに造られたようです。多くの門は数年後には取り壊されましたが、現存するものもあります。
目的:日露戦争(1904~1905)に山田村から従軍した人たちの無事帰還を記念するため
建造:1906年
高さ:4.7m
幅:4.88m
上部:アーチ型に組まれ中央に縦0.6m×横1.21mの石が組み込まれている
国の登録有形民俗文化財:2001年登録
所在地:鹿児島県姶良市
凱旋門あるいはアーチと呼ばれるものはヨーロッパにはまだ多く残されているものと思います。その中でここでは主なものを見てみました。
まとめ
全くの素人考えですが、凱旋門の形式は大きく二つに分けられるように思いました。
(1)古代ローマのコンスタンティヌスの凱旋門とこれを模したカルーゼル凱旋門やボツダム、ミュンヘン、ミラノなどの凱旋門など
(2)古代ローマのアウグストゥスの凱旋門とこれを模したエトワール凱旋門やロンドン、ワシントン、ブカレスト、台北、スコピエなどの凱旋門など
こうしてみるとコンスタンティヌス帝もアウグストゥス帝も後世に大きな影響を残した政治家だったのですね。
最後までご覧いただき有難うございます。